アメリカで妊娠・出産

40代高齢妊娠8週目の日記!完全自然流産してしまいました

こんにちは!Mamiです。

貧乏アメリカ生活で
妊婦だったりします 汗

全てカバーするはずの
メディケイドが出産の日しか
保険がでないやつだったという

悲惨な事実が分かり、
只今交渉中です。

 

だって、出産するまで
医者にも行けないなんて
おかしすぎです。

産めばそれでいいのか?
って感じ。

 

と冒頭から
怒り満載気味の私ですが、

自分で何でもやってしまう
タイプなので、
そういえば妊娠って
自分だけのイベントじゃないよな。。

とふと思ってみたり
妊婦の心境はいつも複雑ですね。

まだ7週目のエコー診断しかしていないので
この先どうなるのか
不安ばかりです。

ということで、
事実上の8週目に突入しましたが
その様子を記録していきたいと思います。

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40代高齢妊娠 8週目

1日目

2日前から茶色いおりもの→すこしピンクに

となっていたので、心配な日々が続く。
そしてこの日も茶色いおりものがまた出る。

でもパンティライナーでも全然余裕。
どちらかというとトイレに行った時だけ
多めにでるような感じ。

体調も結構良くて、
いろいろ調べても大丈夫な場合もあるので
そこまで心配しないことにした。

 

でも念のためにひどくなったらどうする
べきか、どうなるのか?

などは調べておく。

 

2日目

まだ茶色のおりものが出る。
ピンク色はもう出ていない。

量も少ないし、大丈夫かな?
と思ったりする。

胸のはりも朝起きるとバリバリあるし
まだまだ妊娠してる〜って体が言っている。

生理のような軽い痛みがあったり無かったり。

 

3日目

2日くらいおりものの量も少ないので
安心していた所、

いきなりこの日の朝は大量に茶色いおりものが出る。

しかもなんか、ちょっと固形のような物まであった。
驚いてとまどう。

何時間かすると、おりものの量が増加。

パンティーライナーじゃ物足りなくなってしまう。
急いで生理用のナプキンに切り替える。

 

夕方あたりから生理痛のような鈍痛が
どんどんひどくなる。

そしてついに生理2日目と同じくらいの
茶色い液体たちがどどっと出る。

 

この時点でもう駄目だとおもった。

 

お腹が痛すぎてもう流産だろうが
どうでもいい!という気分になった。

 

だんだん腰も痛くなってきて
生理痛の今までで1番痛かった時の痛さ
が3時間くらい続いて、

その間、トイレに行くと少しずつ
小さな塊のようなものも出ていた。

 

でも生理痛の1番酷い時の痛みなので
病気で耐えられなくて救急車!!!

とまではいかない痛みだと思って
救急車は呼びませんでした。

 

あと、保険がカバーされないと言われていたので
高額な料金請求されても困るので

痛みが収まってきたら(全く痛くない訳ではない)
早速いろいろ英語で調べて
ER(緊急病院)が一体どんな処置をとるのか?
行く必要はあるのか?

 

と自分なりに考える。
保険のある人ならこの時点で
ガイドにはERへ行くか医者に連絡する
と書いてあるが、

この日は土曜日。
しかも夜。

 

まだ大きな塊は出ていないし、
症状は進行流産と全く同じなので
ERはこの時点では何も出来ないらしく

出血も今日始まったばかりなので
まだ自分で我慢できる範囲なので、
月曜日まで待つことにした。

4日目

昨夜よりもかなり体が楽になり、
これは月曜日まで待てるな!と実感。

しかし。。。

月曜日はなんと祝日だった 苦笑

がーん。

 

皮肉なことに
流産が起こるときって
週末だったりすることが多いようです。

 

体の不思議ですね・・・

 

そして、普通に生活を送っていたところ
なんと、大打撃がその夜やってきたのでした。

 

何故かひどくなるのはいつも夜。

それまでほとんど痛みは
気にならない程度になっていたのに

いきなり陣痛のような痛みが。
(出産経験ないので、そんな感じかな?
と思っているだけですが・・・)

 

痛みは確実に昨夜よりも痛い。

ていうか・・・・かなり痛い。

今までのひどい生理痛よりも痛い。

 

それに加えて

便通まである。

 

なんなの?便秘じゃないのに・・・・

 

と思いながら
なんとかトイレへたどり着いて
座り込むと、もう痛みで動けない。

 

この時点でこれは尋常じゃない
と悟った。

昨日は耐えれる範囲だけど
この痛みがずっと続くとやばい

と不安がよぎりまくった。

 

そしてトイレでうずくまること
20〜30分かと思う。

 

にょろっとした感覚がして
ボトっとでっかい塊が落ちた。

 

今までのは黒い小さい赤い塊だったけど
今回のは全く違う、赤い大きな物体。

 

しかし一瞬見ただけで洋式トイレなので
奥の方へ行ってしまう 汗

 

でも人間って不思議なもので、
ああ、あれだな。胎嚢がでちゃったな

とすぐに分かった。

 

ネットでは大きな物がでたら
すぐに痛みが収まるという感想が
多かったけど、痛みはなかなかおさまらず。

 

その後30分は同じくらいの痛みが
続いていて、これはもうER行きだ。

と心に決めた。

 

デリ君に電話し、一緒にERに行くことに。

 

ここからが長かった 汗

夜の11時ころにERに行くと、
そこまで待合室で待つ時間は無かったものの、

次の場所で多分1時間くらいは待ったと思う。

・血圧測定

と状況を説明するのだけど
血圧測定が終わっても30分くらい
ずっと機材をつけたまま放置されたw

 

他の部屋に移されて、
そこで尿検査、血液検査をする。

このプロセスに多分もう1時間くらい。

デリ君と二人で待ちながら寝る。

 

その後なんと、行ったERにはエコーの機械がなく、
他の病院に運搬されることに 苦笑

 

とりあえず痛み止めだけ飲ませてもらい
ものすごくいっぱいシートベルトがついた
台に乗せられ、救急車のような車に乗る。

乗っている間は常に血圧を計られていた。

 

実は痛み止めを貰うくらいには
すでに痛みはほとんど無くなっていたw

 

とはいえ、
ものすごい痛みから痛みが和らぐまでは
やはり1時間〜2時間くらいかかったみたい。

 

痛みがひどいとたかが2時間でも
結構痛いし辛い。

 

そして別病院に連れられていくと、
なんと、病室にすら入れてもらえず、

運搬用ベッドを通路に置かれ
そこで放置されるwww

 

確かに元気そうにしてるけどさ、
ちょっと前までは凄い状態だったし、
流産してるので、もっと大事にしてくれませんか?

と思わず思ってしまった。

 

しょうがないので
通路でみんなが行き来する中
ちょっと寝る。

でも落ち着かず、
スマホを見る時間が永遠と続く。

 

やっとある部屋へと連れていかれ、
エコーをやってもらうことに。

 

「何も見えないね〜」

と言われる。

 

そしてまた廊下に戻されるw

待つこと多分2時間くらい?

 

やっと医者が登場。
何も見えなかったと言われ
「まだ早すぎるのかも」

という言葉が。。。。

 

いや、もう何度もいろんな人に
(看護婦とか)説明したんですけど。。

つい5日くらい前までは
胎嚢も卵黄嚢もあったんだから。

 

と説明すると

「じゃあ、流れちゃったかもですね」

 

ということで、
産婦人科の先生を紹介してもらい、
後日そこへ行くようにと言われておしまい。

 

ドクターの次にまた1時間くらい待ちで
最後の書類サインの手続き。

 

結局病院から出たのは朝の7時過ぎ。

しかも8時間中おそらく5時間は
病院の通路にいましたwww

 

やはり産婦人科ではないので、
ERで出来るのは
血液検査に異常がないか、と
エコーに赤ちゃんがいるのか、という確認。

 

流産とすら断定されない。

まあ、しょうがないとは思いますが。

 

でも、異常な状態だったら困るし
やはり火曜日まで待つのは怖かったので
ER行きはしょうがないかな、と思いました。

薬もなにも出ず、そのまま家へ帰ることに。

5日目

この日は朝とても快調。

前夜の悪夢が夢のようなくらい
体は楽になっていた。

そして元の妊娠してない体に戻った
という感覚がした。

・・・

しかし、夜になると体調悪化。
生理の鈍痛がまたやってきた。

前夜よりはひどくないけど
微熱が出た。

そして薬が飲み込めなくて
気がついたら吐いてしまった。

おそらく熱のせいだと思う。

出血もわりとあった。

 

6日目

翌日の予約が病院でとれたので一安心。
やっと平日となって、問題となっていた保険も
ちゃんとカバーされる保険に切り替わったことを確認。

やっぱりアメリカって
文句言ってなんぼの世界。

もうヒヤヒヤしまくり。

熱は下がったけど、体調はそこまで快調じゃない。
まだ体の中で処理が続いているって感じで
腹痛もずーっとあった。

 

7日目 (9週目とも言いますがw)

産婦人科へと行く。

先生にまだ残っていたものを取ってもらい
奥にまだ残っていないかエコーしてもらう。

すると奥の物は全て消えていて、
先生が取れる範囲のものは取ってくれたので

後は出血が治まるのを待つだけ
と言われた。

薬は何も出なかった 汗

・・・・いいのか?

 

どうやら完全自然流産のよう。
手術しなくて良かったのでラッキーでした。

まあ、かなり痛かったですが。。。

 

ちょうど膀胱炎で病院いったときの
抗生物質を飲んでいるので
助かったものの、

アメリカって自然流産だと
なにも薬出さないのかな・・・

アメリカ人の回復力はやはり
日本人よりも凄いのかも知れない。

と思い知った。

(いつも実感はしてるけど)

 

ドクターにはフォローアップの予約もなにも言われず。

次にまた妊娠したいなら1ヶ月後から
妊活開始するように、と言われました。

 

「いや、もうちょっと待とうと思うのですが」

とのんきに言うと、

「1ヶ月以上待たないほうがいいわよ」

とキッパリ言われました 苦笑

 

42歳、1ヶ月で回復出来るのか?!

ちょっと不安はあるものの、
こんど妊娠に臨む時は

もっとしっかりと準備していこうと
心に決めました。

 

・・・

っていっても1ヶ月しかないのか。。。

 

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まとめ

今回は残念ながら流産してしまいましたが、
私はこれもそういう運命だったんだ、と
受け止めて前向きに考えています。

年齢から流産確率が高いのも知っていたし
妊娠を知ってから出来るだけの事はしましたが、
こればっかりはしょうがないですね(´;ω;`)

流産のプロセスは
人それぞれ違うと思いますが、

不安な方も沢山いると思いますので、
私の記録を一つの参考としてください。

 

実は私自身妊娠している最中は
不安がいっぱいでしょうがありませんでした。

 

でも今回の妊娠から流産のプロセスを通じて
デリ君と今までよりも絆が深まったし、

妊娠というのが現実になるとは
まさか思っていなかったので、
自分も妊娠していいんだ!

と思えることができました。

(この歳になると、もう無理かな
っていう諦めの気持ちが大きくなっちゃうんですよ)

 

今回はすごく頑張って妊娠した訳で
なかったので、次回は今回学んだことを
しっかりと実践しながら

妊娠のために全てやり尽くしたぞ!

と満足した状態での妊娠を迎えるぞ、
と心に決めました。

 

今回出会えなかった赤ちゃんは
私に
「妊娠してもいいんだよ」
「新しい家族を作るのって素晴らしいよ」

という気づきをくれました。

(特に流産してからその重要さに気づきました)

 

今まで仕事に奮闘する日々が何年も続いて
まだまだ仕事優先!と
気張っていた私でしたが、

今まで全く思えなかった感覚に包まれ
考え方がとても大きく変わりました。

 

子供がいる家族の繋がりって
とても温かいものだな、

と流産してしまいましたが、
今回の妊娠でその本来の意味を
実感した気がします。

なので、これからも
まだまだ負けず、

次の妊娠に向けて前向きに
いきたいと思います。

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