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原晋監督の経歴や名言!出身高校や大学と中国電力での成績も検証

   



箱根駅伝2017で青山学院が3連覇を果たしました!

原晋監督が箱根駅伝から遠ざかっていた青山学院を優勝まで導いた話は

連勝するにつれ有名になってきていますね!

そこで、原晋監督の経歴はどんなものだったのか、名言は何か、

また、原晋監督の出身高校、大学、営業マンとして活躍した中国電力での成績も検証していこうと思います。

 

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原晋監督のプロフィール


🔵原 晋(はら すすむ)
🔵生年月日  1967年3月8日(49歳)
🔵出身地   広島県三原市
🔵身長    176cm
🔵体重    81kg
🔵家族    妻・美穂さん(47) 子供はいません。

1995年 現役引退
2004年 青山学院大学監督

原晋監督は現在49歳なのですね!

テレビで観た時もっとお若いかと思いました!

若者と一緒にいると若くなるのかもしれません。

 

小学校の頃から運動神経万能

原晋監督は小学校から運動神経万能で野球や相撲もやっていたそうです。

小4の時に足を骨折したことにより、リハビリを兼ねてジョギングを始めたのが陸上競技との出会いの始まりでした。

なんと、中1でマラソン大会の校内1位に輝きます(上級生も含めて)。

私の中学時代にはそんなすごい人は居なかったので、

おそらく中学校では神存在のような運動神経の良さだったのだと思います。

 

原晋監督の出身高校は?

原晋監督の出身高校は広島県の

 

世羅高校

 

です。

世羅高校は駅伝でもとても有名な学校で、

広島県高校駅伝では最近でも13連覇するくらいの駅伝の強豪です。

そんな凄い高校で3年生の時に主将になります。

そしてそのときのチームが全国大回駅伝の全国2位に輝きます!

 

この時からリーダーの素質があったのですね。

 

原晋監督の出身大学は?

中京大学

です。

え?箱根駅伝に全く関係ない大学ですね(汗

不思議に思ったのですが、原晋監督が中京大学に入った理由は

世羅高校OBが監督を務めていたからのようです。

 

中京大学での原晋監督の成績は

3年生の時に

日本インカレ5000メートルで3位

を獲得しました。

駅伝というよりは、個人種目で頑張っていたようですね。

原晋監督が箱根駅伝経験者でないのはとっても不思議です。

 

中国電力陸上競技部での成績は?

1989年、原晋監督が中京大学を卒業して就職した先は中国電力でした。

しかし、中国電力にはそれまで陸上競技部というのはなく、

原晋監督は入社して陸上競技部の創始に参加します。

 

1993年には原晋監督はこの陸上競技部の主将として活躍するようになり、

全日本実業団駅伝に初出場が出来るまで貢献します。

 

しかし、原晋監督は1年目に故障してしまいます。

そして結局1995年には引退することになってしまいました。

 

そして、その後の10年間は普通に中国電力のサラリーマンとして働きます。

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営業マンとして10年働く

なんと、原晋監督は10年もの間、陸上とは全く関わりを持たず、営業マンとして10年もサラリーマンしていたのです!!

今の業績を考えると信じられないですよね?

しかも

同期が本社で活躍しているというのに配属されたのは

支店の下の営業所でした。

 

でもすごいのは、そこで落胆せず、ここで頑張りを見せます。

なんと、原晋監督は、省エネ空調設備「エコアイス」を売り、社内で売上1番に君臨します!

これによって評価が上がり、新規事業を立ち上げるまでに!

 

今までのスポーツで鍛えられた精神力が仕事にも成果を発揮したのかもしれませんね!

スポーツだけでなく営業にもその才能を発揮する所が人並み外れています。

まさに伝説の営業マン、誕生です。

 

2004年、青山学院大学陸上競技部に就任

サラリーマンを10年、全く陸上とは縁のない生活をしていた原晋監督にオファーが来ます。

やはり駅伝経験も無く、青山学院大学出身でもない原晋監督はこのオファーを受けるべきかどうか悩んだそうです。

そして何故原晋監督にオファーがあったかも不思議ですよね?

それは

青山学院大学のOBの人が原晋監督と同じ高校の後輩だったので、

その方が原晋監督の人柄や能力を見込んでオファーしたとのこと。

 

原晋監督は以前からリーダーになる事が多かったのですが、やはり皆をまとめるのが上手かったり

人から慕われる人なのだったのですね!

 

原晋監督は実は即決したわけではなく、1年半かけて奥さんを説得したり悩んだりして監督に就任することに決めたそうです。

やはり営業でもトップだったわけだし、いきなりまた陸上の世界に入るには勇気のいる行動だったと思います。

 

そして、監督になることを決意した原晋監督は中途半端ではなめられると思い、会社を辞めることにします。

 

しかし、事がスムーズに進むわけではなく、

駅伝の強豪高校からはスカウトしようとすると

大学は素晴らしいけれど、駅伝は箱根に出ていないでしょう

といって断られてしまったそうです。

 

しかし、自身の出身高校と出身大学の系列から選手を獲得することに成功し、それなりの選手が揃うようになりました。

 

箱根駅伝に出場

原晋監督が就任して宣言したのがこちらです。

 

🔵3年で箱根駅伝に出場



🔵5年でシード権獲得



🔵10年で優勝争い

 

しかし、就任から3年目にあたる2006年では

予選会での16位惨敗で終わってしまいました。

 

これによって青山学院大学の陸上部の長距離部門が廃部寸前になったこともあるそうです。

しかし、

この2年後の2008年に

学連選抜の監督としてチームを総合4位に導きます。

 

そしてついに翌年の2009年に

青山学院大学を33年ぶりの箱根駅伝出場へと導きました!

このとき青山学院大学は22位。

 

そして2010年には

青山学院大学は8位でシード権獲得!(41年ぶり)

 

そして2015年では

ついに青山学院大学が優勝しました!

 

そしてなんと

2016年、2017年と3連覇を果たしています。

 

原晋監督の宣言では2013年で優勝でしたが、

少し遅れたものの、3年連続優勝とはほんとうにすごいですね!

 

原晋監督の名言5

ビジネスでの経験を陸上選手の育成に応用する!

素晴らしいですね。

その原晋監督の名言で素晴らしいと思った5つを紹介します。

 


常に勝ち続けるためには組織として戦わなければならない。


勝つためには泥くさいことを積み重ねていかなければならない。


しっかりと自分の軸を持って本物を追求すれば、いつか周りが認めてくれる。本物だけが、勝ち続けられる。

 


伸びる選手は「妄想」を抱いていない。目標と妄想は違います。目標は手の届く「半歩先」に置き、それを目指して練習する、その繰り返しだと思います。

 


多くの指導者は「その程度で満足するな。全然話にならないぞ!」と言ってしまう。私は、「おお、よかった。それは自己ベストじゃないか。じゃあ、もうちょっと頑張って次は40秒だね」とか、「もう一回その自己ベストで走ろうじゃないか」と声をかけるようにしています。するとまたジャンプアップしていき、気がついたら目標に届くというところまで到達しています。

まとめ

こうやって原晋監督の経歴や過去の高校大学そして中国電力での営業の実績、さらに青山学院大学での実績をしらべると

人の成功というのは一定の法則にしたがって起こるものなのだ、と思いますね。

やはり何を確立するにも努力は必要で、ただ努力するだけでなくきちんと手に届きそうな目標をたてる。

そしてそれを達成するための泥臭い作業をする。

これですね。

なんだか私もとてもすごい事を学びました。

原晋監督のこれからの活躍に期待です。

 

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